「悲しむのは、悪いことじやない」からの最後のお話しです。
人の悲しみを理解するのは難しい
人を悲しみから救うのは
とても難しい。
どんな腕のよい精神科医であっても、
悟りを開いた高僧であっても、
家族や恋人を失って嘆き悲しむ人を
一瞬で救うことなど絶対にできないであろう。
一方悲しみにある人を傷つけるのは簡単だ。
というより、
こちらがそうしようと意図していない場合でも、
相手はちょっとした言葉や態度でその悲しみをさらに深くしてしまう事がある。
いつもの調子もダメ。
かと言って気を使われすぎるのもダメ。
結局はどう扱われても悲しい時は悲しいし、
些細な言葉で傷つく時は傷つく。
2009年にリング上の事故で命を失ったプロレスラー、
三沢光晴選手の妻 真由美氏は
夫の突然の逝去から1年を経て出版された本のインタビューでこう語っている。
「娘や息子たちもそれぞれに悲しみと戦っていると思います。
でも、私は笑いながら時々こう、言うんです。
『あなたたちは、たかだか父親を失っただけでしょ。
私なんて伴侶を亡くしたんだからね。』」
(愛妻からみた素顔の三沢光晴 LAST BUMP 丸井乙生著)
おそらくここで三沢真由美氏は
「悲しみの量」について語っているわけではない。
ただ、「息子にとっての父親の死」と「自分にとっての夫の死」では
それによって与えられる「悲しみの質」が違う、ということを語りたいのだと思う。
そして、それはいくら家族であっても親友であっても、
完全に理解共有することはできないものなんだ。
悲しみにある人にはどんな言葉も効果はない。
また、完璧にそれを分かち合うこともできない。
「私ならこの人の気持ちを完全に分かってあげられる、助けてあげられる」
と言った傲慢な気持ちを消して、
まずその人の悲しみ、その人自身に敬意を払うこと。
それくらいなら私たちもできるのではないだろうか。
〝私には子供はいませんが
この三沢さんの奥さまの話にとても共感しました。
まさに悲しみの量ではなく悲しみの質の問題。
本を読んでいるとなかなか自分では見つけられない自分の思いに気づき「はっ!」となる事があります。
皆さんにとっても、よい言葉があるといいなと思ってこちらでは私の読んだ本のご紹介をさせて頂いています。
また、興味ある本があれば読んでみてください。
私とは違う文章であなたの気づきになる言葉に出会うかもしれません。〟
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