ある時期からこちらへの記載が止まってしまってごめんなさい。
その言い訳は一言で言えば生活の変化です。
この年齢になって、まったくやった事のない分野の仕事を初めてしまった事で、とんでもない状況になってしまいました。
その仕事は“営業事務”なんですが、未だにバタバタ。
まー新しく始める事はなんでも大変ですけどね。
それはそれで乗り越える楽しみに変換中です(笑)
さて、本題に入らせて頂きます。
ある雑誌の掲載内容が書いてあるものを目にして気になったので購入しました。
それがこの内容だったからです。
まず、この雑誌をご紹介するにあたりひと言付け加えます。
この雑誌は“潮”と言いまして創価学会が出している月刊誌です。(普通に書店で販売しています)
ただ、創価学会という団体のものなので、もしかしたらこの宗教がお好きじゃない方がいらしたらと思い紹介を考えました。
が、しかし絶対に見ないものだと思うので、あえて書かせて頂きたいと思います。
特集の中でいくつかの話が掲載されています。
私が読んで皆さんに伝えたい部分を抜粋して書かせて頂きます。
まず1つ目です。
『夫が教えてくれた生きるための「終活」』
これは流通ジャーナリストの金子哲雄さん(亡くなる3ヶ月前までテレビに出演されていて享年41歳で亡くなりました。)の奥さまが著者です。
私も読んで驚きましたが、
金子哲雄さんは余命宣告から亡くなるまでの約一年半を費やして、ご自身で葬儀やお墓の手配、死後の挨拶まわりに至るまで全ての準備をされたそうです。
ます、何という精神力だったんだろうと思いました。
私も体験しましたが、
【抜粋】
「もう長くない」と聞かされた周囲の方々が「最後の思い出づくりに」「お別れのご挨拶に」と言って次々に訪れるのです。もちろんその方々なりの真心だったんですが少し複雑な思いもありました。
【世話人】
私も全く同じ状況があり本当に複雑でした。ありがたいと思いながら本人の心を思うと今も辛くなります。
【抜粋】
金子さんは奥さまと並んで歩いている際に
「病気にならなかったら、
2人でこうしてゆっくり歩ける幸せなんてわからなかった」と言ったのです。
中略
夫も私も、日常の瞬間の中にたくさんの奇跡が詰まっている事に気がついたのです。
【世話人】
私自身は2人の大切な人がいなくなってから
日常の瞬間の中にたくさんの奇跡が詰まっている事に気がつきました。
金子さんは2人でおられる時にその事に気づけたんだなぁと思いました。
【抜粋】
大切なのは、自らの命をどう使ってどんな風に生きていきたいかについて話し合う事です。「命を使う」と書いて「使命」。使命というのは人から与えられるものではなく、自分自身で気づくものなのです。
【世話人】
この内容が皆さんにどう響いたかわかりません。
それぞれに同じような思いをされて、同感されている方もいるかもしれないし
自分には分からない事だと思われる方もいるかもしれません。
それはそれでいいと思います。だって、皆さんが感じるのが本当の思いだから。
正解、不正解はないです。
ここに書いたのは死別された方の1例。
死別された方が100人入れば100通りの思いがあっていい。そう思います。
でも、人の思いを知るのは大事なのかなぁって思います。
私自身は人の話で心動かされた事が多いので。
そして、いきなり話が変わりますが、
私事ではありますが色々思う所ありまして
こちらのアルシェロでの活動を旧姓に戻して活動させて頂きます。
プロフィール等もすでに変わっていますが
【泊 快衣】で 【 とまり とも】 と言う名前です。
急に「とまり」とは呼びにくいと思いますので
今まで通りともちゃんで大丈夫です!
改めまして
皆さん、よろしくお願いします。
それでは
次回はまた続きを書きますね。
コメントをお書きください
ひまわり (月曜日, 22 7月 2019 18:36)
泊さん(私まだ仲間にしてもらったばかりでともちゃんは恐れ多くて呼べませんので、泊さんで(^^; )、ご紹介くださってありがとうございます。
金子さんよくテレビで拝見していましたのでお顔が浮かびます。
自分の余命をそのような準備に費やされたというのは、確かにその精神力にも驚かされますが、ひとえに、残される奥さまへの愛情だったんだと思います。
自分が逝かなければならない悲しみよりも、残されて生きていかなければならない奥さまへの心配が勝っていたんでしょう。
素敵なご夫婦だったのでしょうね。
私は突然死での別れで、日々の幸せを二人で再確認する時間は与えてもらえなかったことが残念だなぁと思いながら読みました。
しゅんちゃん (月曜日, 22 7月 2019 19:53)
泊さん。私も入会したばかりなのでこちらで呼ばせていただきますね。私は再婚で2年足らず主人を亡くしました。夫婦としての醍醐味も感じない間だったので今回の記事胸に刺さりました。
しげちゃん (月曜日, 22 7月 2019 20:33)
「余命宣告」残酷な言葉です。
以前の患者は自分の病名も知らされず
治るものだと信じて治療していたのに…。
余命宣告されればその先には「死」が待ち構えています。
医者の理屈ではそれまでの間、家族と有意義に最後の時間を
過ごすための宣告なのでしょう
しかし宣告された患者はその瞬間から死という恐怖と闘わなければなりません。
恐怖を受け入れて取り乱すことなく逝った、寂しがりで怖がりの
妻の強さの拠り所はどこにあったのか未だに分かりません。
私ならばとても平静ではいられないでしょう。
最近読んだ本に
「神よ、私は変えられないことはそのまま受け入れる平静さと、
変えられることは、すぐにそれを行う勇気と、そして、それらを
見分けるための知恵を、どうかお与えくだいさい」
と言う一文がありました。
生きるためにも前を見て「使命」を見つけなければ、
未だに後ろを振り帰り前を向けてません。
泊さんの使命応援しますよ。
しかし驚いたな~!
智子さんじゃなかったんだ。
泊 快衣 (月曜日, 22 7月 2019 22:23)
★ひまわりさん
皆さん、全然恐れ多くないので“ともちゃん”でも
“ともさん ”でも!
呼んでみようかな?と思った時に呼んで下さい!
私も突然死だったので再確認することなど全くできずでした。
★しゅんちゃん
堅苦しくない方が好きなので、気が向いたら気軽るに呼んでください!
私も結婚生活というものは2年半位しか経験していません。
きっと、しゅんちゃんさんのご主人はたった2年であってもしゅんちゃんさんと一緒に入れた事を喜んでいるでしょうね。
★しげちゃんさん
名前は本当は智子です!
今後色んな活動をしていく予定なので、この際だからいい名前にしたくてこの名前にしました。
驚かしてごめんなさい!
ほんとですね。
宣告されて残り時間を大切に使うのがいいのか、宣告されず変わらぬ毎日を送る方がいいのか。
難しい選択ですね。
私の勝手な想像ですが、
奥さまはしげちゃんやご家族のために強くなれたんじゃないかなと思います。
なんでも受け入れる事ができたらいいのになぁ~と思いますが、なかなかの努力がいりますね。
でも、無理せず、焦らずいきましょう!
時には戻るのも全然ありだから。
山本 (水曜日, 24 7月 2019 21:08)
本年1月末に少し早目の定年退職を決断し、2月からは新しい会社にお世話になって多忙な日々を送っています。つぶやきを拝読して妻が旅立つ前とよく似ているなと感じ投稿させていただきました。妻は余命宣告1年を告げられましたが、1年半の間よく頑張ってくれました。亡くなる3か月前に知ったのですが、終活ノートに私が後で困らないようにと全ての内容が記載されていました。「どこに何がある」、「形見分けは友達の○○さんに」・・・それは数えきれないほどの内容がノートにぎっしりと記載されており、妻の思いやりやエネルギーを感じました。今も辛くてたまらないことはありますが、皆さんからのお話をお伺いしていて、思いやりや真心、エネルギーを感じさせていただいております。本当に感謝しております。ありがとう。
泊 (月曜日, 05 8月 2019 01:22)
そうでしたかぁ~
早期で。
新しい仕事を始めると忙しくなるのは私も現在体験中です。
わたしが読んだお話と同じ状況だったんですね~
奥様の優しさ、強さ、愛情
悲しみ
色んな感情をお察しします。