副世話人、久しぶりのつぶやき。
2020年になってからいろいろなことが起こっていますね。
思うのは「日常生活は当たり前ではない」ということ。
死別経験のある私たちはそれに気づけていますよね。
いつも通りに過ごせるのはとても幸せでありがたいことなのですよね。
今年に入ってから親戚の中で不幸が2度ありました。
伯父88才と叔父78才でした。
比べてはいけないのはわかっているけど
【私より30~40年も夫婦としての時間が多く送れて】いいなーなんて思いました。
法事へ行ったとき「寂しい寂しい。涙が出てしかたないの。」
と残された2人のおば(伯母と叔母)は言っていました。
うんうん。それは当たり前ですよね。
でもどこかで上の赤い文字の部分の感情がありました。
私と同じく夫を早くに亡くした母は
「早く死別するのも寂しいけど、一緒にいた時間が長いほど
片方がいなくなった寂しさはあるかもしれない」と言いました。
もちろんどちらが寂しいか比べようもないし比べるものでもない。
やっぱり伴侶との死別は一緒に過ごした時間関係なく辛いってことなのだなと。
そしてその場で、私は今ひとりで暮らしているという話になって
2人のおばは揃って「寂しいでしょう?」と言いました。
それに対しては
子供たちには子供たちの世界があるので子離れは必要かなと思って。
ってな感じで答えたと思います。
寂しくないと言えば嘘だけれど
今の私は「ひとり」であることを楽しもうと思っています。
はい、強がりな部分もあります。
私ってすっごく負けず嫌いなんです。
死別したことに対して負けたくない。
この5年半というものその思いでここまで来てます(笑)
戻って来なくなった夫との時間を恋しがっても寂しいだけだから
生まれて初めてのひとり暮らしも寂しいけど楽しんでやるぞー。
夫が経験できない子供たちのこれからの出来事を私は経験してやるぞー。(←娘からも言われました)
夫は自死なのでこんなことを思うのかもしれないですけどね。
寂しい、悲しい、辛いって思ったときは夫のことを想います。
今、夫は天国で穏やかに過ごせているよねって。
夫が苦しくないならいいやって。
大切な人が苦しんでるのに助けられない
その姿を見ているのが私は辛くて堪らなかった。
死別したことよりそっちのほうが辛かったように思います。
今は夫は楽になっているでしょうから。
もちろん本当のことなどわからない。
自分に都合よく考えます。
泣いて過ごすのも
笑って過ごすのも私次第。
あとどれくらい私は生きられるのかわからないけど
夫が安心するように笑って過ごしたいと思います。
コメントをお書きください
荒川好孝 (金曜日, 10 7月 2020 19:03)
うちには、高齢の両親がいますが、父親は、認知症が進んでいます。母親は、そのことで、愚痴をこぼしに来ますが、相手がこの世にいるだけましだよと言ってますが、どうなんだろうとうと、考えてしまいます。
ひまわり (金曜日, 10 7月 2020 22:46)
こんばんは。
コロナで行動が制限されるようになってからというもの、毎日ただ必要最低限のことだけして過ごしている私です。
主人と死に別れてからは、一人でどこいっても何してもどうせ楽しくないし、って思っていましたが、こうなってみると、どこにいっても自由だったなら、もっと楽しめばよかったなぁなんて感じますね。
一つ何かを失うと、その有り難みが身に染みる、といいますか…
限りある時間、せっかくなら有意義に使わないと勿体ないですねぇ。
伊藤さんがおっしゃるとおり、泣いて過ごすのも笑って過ごすのも自分次第。
私も強がってますよ!
同じ境遇で人が落ち込んでると、自分のこと棚にあげてなんとか励ましたくなってしまいます。
それは結局、自分自身に言ってるのかもしれませんね。私も負けたくない!
伊藤さんありがとう
はせがわ (日曜日, 12 7月 2020 22:12)
いとーちゃんお疲れ様です。いつもありがとうございます。
叔母様達は長く連れ添うことができて羨ましいと思う気持ちすごくわかります。
ある方に自分が経験していないことに人は共感できないから仕方ないのよと言われたことがあります。
人それぞれ環境や考え方が違うので配偶者を亡くした事実は同じでも、どうしても比較してしまう自分がいますよね。
いとーちゃんの場合は余計に辛いと思います。同じ経験をしていない私が察するだけでこのようなことを思うこともおこがましいのかもしれません。
でも、前向きに楽しもうと生きる姿はカッコいいです!
私も一人暮らしで実の子も両親もいませんが楽しく生きて行きたいと思ってます。
一緒に頑張りましょうね!
しずく (日曜日, 12 7月 2020 22:13)
最近子供達も友達と遊ぶ事が多くなったので、1人の夕食や週末が増えてきて、夫婦揃っていれば寂しいとかないのかな?って考える事があります�コロナの影響で友達と出掛ける機会が減ったので尚更考えてしまいます。
お互い人生楽しみたいですね。
副世話人いとう (月曜日, 13 7月 2020 12:08)
荒川さん
88才だった伯父も5年くらい前から認知症で最期3年ほどは施設にいたそうです。
はじめの頃は在宅で介護していたようですが、無理になって施設にお願いしたようです。
たぶん面会に行っても伯母のことも従兄妹たちのこともわからなかったかもしれないですが、施設に行けば会えると思ってたのに、もういないと思うと寂しいと言っていました。
面会に行くのが日常だったけど、それがなくなるのはやはり寂しいですよね。
お母様も今は愚痴が出ちゃうかもしれないですが、お父様が亡くなったら寂しいでしょうし、荒川さんもお母様の愚痴がなくなったら寂しく思うかもしれないですよ?
副世話人いとう (月曜日, 13 7月 2020 12:23)
ひまわりさん
そうそう、私はどこへ行っても「ふん!どうせ私はひとりだよ」なんて思ってました。
今でも思うかな(笑)
でもね、何時までぶらぶらしようが、もう1回さっきのお店に行ってみようとか
誰にも文句言われず、気を遣わず自由じゃないか!良いわーこれ。とも思うんです。
これを強がりや負け惜しみとも言うのかもしれないですけどね。
失ったものを見て嘆くより、今持ってるものを見て楽しむ。
自分が楽になるように考えればいいと思っています。
>それは結局、自分自身に言ってるのかもしれませんね。
うんうん、そうなんですよね。
自分に対しての言葉でもあると思います。がんばれ私!ってね。
今までは夫が褒めてくれたことでも亡くなったら誰も褒めてくれない。
そんなときは自分で自分を褒める!励ます!
自己満足ですが何か?です(笑)
副世話人いとう (月曜日, 13 7月 2020 12:35)
はせがわさん
>ある方に自分が経験していないことに人は共感できないから仕方ないのよと言われたことがあります。
そのとおりですよね。
死別したことない人には死別した人に共感できない。
死別同士でも共感できないことがあります。
これはどうしようもないんですよね。
よく「あなたに私の気持ちなんかわからないわ!」なんてセリフをドラマとかで見てると
「当たり前や」ってTVに向かってツッコミを入れてしまう私(笑)
実際、わかるわけないからわかってもらおうとも思わないですしね。
ただ、相手を理解しようと思う気持ちは大事だなと思います。
私の場合は変な話、置いていかれたとかフラれた感があるんですよ(笑)
だから明るく生きてやるーって思うのかも。
一緒に楽しく生きていきましょうね!
副世話人いとう (月曜日, 13 7月 2020 12:57)
しずくさん
子供たちが大きくなると親とはあまり過ごさなくなりますよね。
同じ家に居ても部屋から出て来なかったり。
寂しいことではあるけど、自由な時間ができたと思うようにしました。
で、これから夫とお出かけできるかなーなんて思ってたのに
いないやないか!
夫婦揃ってたら寂しくはないかも。
でも何か起こって険悪な関係になってたかも?
コロナ離婚とか言われてるし。
居た方がもちろんいいんだけど、居ない現実。
いないから喧嘩もないわけで。
そのへんは穏やかな気持ちでいられて良いわー私。
とここでまた自己満足な気分になるようにしています。
大切な人が過ごせなかったこの時間を明るく過ごしましょうね!
川中裕之 (火曜日, 28 7月 2020 19:01)
ご無沙汰ですね。
交流会が開催されないので鬱々とした気分のやり場に困っています。
伊藤さんの気持ちよく分かる…と言うより、分かりあえる人が居てくれる…ありがたいと思える気持ちになれます。
旧知の人で子供の頃から何かと世話になっている方がいます。ご主人が3年前に亡くなりその翌年、2年前に私の妻が亡くなりました。
私の気持ちはよく分かる…的な言葉をかけられますが「分かるわけないでしょ。そちらは金婚式を迎えられるくらい長い年月を過ごせたでしょ。夫婦の繋がりもそれぞれに違うのだから!分かったようなこと言わないで欲しい!」と思ったことを思い出します。
それでも伊藤さんの場合よりは私はまだ幸せだったのでしょうね。
助けられなかった悔しさ、早く気づいてあげられなかった情けなさに自分を責めて苦しくて仕方が無いですが、その深さが違うかもしれません。
私は来月三回忌を迎えます。
節目節目のことを迎えることは亡くなった妻のためでもあるけど自分の心を整理するための積み重ねになることに最近気がつきました。
まだまだ時間が掛かるけど生きてる間は前向けるようにならないと。
同じ立場の人と接するとそう思えるから不思議です。
ありがとう。
副世話人いとう (水曜日, 29 7月 2020)
川中さん
大切な人がいなくなってしまって孤独を感じてる中
ほんの少しでも共感してくれる人がいるってありがたいし、安心しますよね。
私だけじゃなかったんだ、あぁよかったって。
それが真っ暗闇の中からの第一歩に繋がったと私は思っています。
>節目節目のことを迎えることは亡くなった妻のためでもあるけど自分の心を整理するための積み重ねになることに最近気がつきました。
とっても重要な気づきですよね。
私の心のノートにメモさせてください。
私は今年、七回忌になるのですけど
振り返ると一周忌、三回忌と迎えるたびに楽になっていったと思います。
心の中の悲しみ辛さ寂しさの面積は変わらないけど重さ?みたいなものが少しずつ軽くなったと言ったら良いのか...
落ち込むツボを避けるのがうまくなったのか?説明難しいです(笑)
大切な人がいない時間を頑張って生きてるだけで十分。
それだって前向けてます。
マイペースでいきましょうよ!
ぴーまん (木曜日, 30 7月 2020 14:41)
伊藤さん、こんにちは。
つぶやいてくれてありがとう。
交流会ができなくてさみしいですね。
私も伊藤さんと同じで伴侶と一緒に過ごした期間関係なく、やはり寂しい、悲しいは同じではないかと思います。そしてその気持ちは経験したもの同士だからわかるのだとおもいます。
わたしの夫は伊藤さんのご主人と同じ死因でした。寂しがりやなのに一人で逝ってしまいました。でもまだ誰にも話せてません、多分一生話さないと思います、私と子供たちだけが知っていればいいのかな、と思います、というのと口に出してしまうと大きな後悔と悔しい気持ち、悲しさ、寂しさが襲って来そうで怖くて言えないっていうのもあります。主人のあの辛くて辛くてたまらなかった毎日に私はいつも逃げたい、って思ってました。1番主人が辛かったのに。
今ひとりになって、ちょっとがんばって明るくしようとか、ちょっと無理して友達とランチ行こうとか辞めました。そして、それがとても楽だと思えるのです。プラス、私には自由があります(笑)!
主人が残してくれたわたしの人
生、まわりが決めるものじゃない。自分が楽しいって感じる方にむかって生きていきたいです
楽しみましょうね
副世話人いとう (月曜日, 03 8月 2020 17:34)
ぴーまんさん
毎月(みなさんは1か月おきですが)当たり前のように開催していた交流会も当たり前ではなかったわけで...
日常はありがたいと感じることの1つですよね。
ぴーまんさんも私と同じ経験されているのですね。
私もごく一部の人しか死因を知らせていないです。
亡くなった人に対して自分勝手だと言われることが多ので
夫の苦しみを知らない人に好き勝手に言われたくないですしね。
私は特に亡くなる1か月前が特に逃げたくなっていました。
苦しんでる夫を見てるのが辛くて...
ぴーまんさんが仰るようにいちばん辛かったのは夫だったのに。
私がそう思っていたのを察して夫は1人で逝ってしまったのかと自分を責めた時期もありました。
本当のことはわからないし知りようもない。
自分を責めても夫は戻って来ないわけで。
夫が逝ったのは私と子供たちを守りたかったからだと
都合よく考えて苦しみから自分を解放しています。
>主人が残してくれたわたしの人生、まわりが決めるものじゃない。自分が楽しいって感じる方にむかって生きていきたいです
そうですよね。
夫が守り、与えてくれた時間に感謝して、やってみたかったことをやろうと思っています。
自分の人生、楽しまなくちゃですね。